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2003年1月

2003/01/01

故郷はそれを求めるときにある

E気配コレクション 030101

この文書は、以前に友人が係わっていた「健然」というサイトに書いたものの再録です。

司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んでいる。第28巻は「耽羅紀行」……済州島への旅の話だ。
この紀行の中で、司馬遼太郎はいっしょに済州島へ旅をした玄文叔という人の「故郷」に対する想いについて書いている。済州島生まれのその玄文叔さんが、さらに植田寿蔵という文学博士のフルサト観を語るという、ちょっと込み入っているようで、実はそうでもない文章を引用する。

そういう玄文叔氏が、人間における故郷とはなにか、というやっかいな課題を考えつづけている。
玄文叔氏は、植田寿蔵博士のはなしをした。明治19年生まれだから、いまは世にないひとだが、京大文学部で美学をながく講じていた。玄さんによれば、このひとの著作に……故郷は、それを求めるときにある。
という意味の文章があるという。
(中略)
植田寿蔵博士は、京都の生まれである。京都生まれの場合、そのまちが都会でありすぎて、京都ナショナリズムはもつことができても、故郷という感じではない。玄文叔氏の記憶のなかにある植田博士の文章では、このひとは、日本人のフルサトというのは山陰の雪の中にある、と思いつづけていた、という。
ある冬、植田博士はそれを求めるべく、夜汽車に乗ったという。そして、深夜、無名の駅に降り、駅前にたたずんでみた。が、失望した。そのあとの汽車を待って、つぎの無名の駅まで行ってみた。が、その駅前も、植田博士の考えていたフルサトではなかった、という。

(司馬遼太郎著「街道をゆく」第28巻・224頁より引用)

突然、僕の話になる。

Img_000101a_2 僕は阪神間の住宅地に生まれ育った。都心というほどではなかったけれども、植田博士と同様に、そこに「故郷」という実感はない。僕にとっての「故郷」のイメージは、母の実家に凝縮されている。奈良県の大和郡山という駅から、一里以上は離れた村の一番奥にある集落に母の実家はある。夏休みともなると、僕はそこに入り浸った。

そこは、「ど」のつく田舎だった。むやみやたらに暑かった。おまけに、蚊はいっぱいおるわ、毎日、夕方になると激しい雷雨がやってくるわ、飯は田舎くさくて子供の口にはあわんわ、気のきいた「おやつ」などないわ、テレビもないわ……もっとも、その頃は都会の家にもテレビはなかったけれど……風呂と便所は田舎の家を絵に描いたように母屋から離れてるわ、そのために、毎夜、恐ろしい思いをするわ、僕が死ぬほど怖い蛇がよおさんおるわ、毎朝、にわとりの鳴き声がうるさいわ、顔を洗ったり歯を磨くにも、井戸端まで行かんならんのが面倒でたまらんわ……で、「故郷」のどこがええねん!
子供の実感はこんなものだったのだ。僕はといえば、本当のところは早く都会に帰って、学校の友達と遊んだり、近所に一軒だけテレビのある家に行ってプロレスの放送でも見たい、などと思っていたのだ。

しかし、と話を切り返す。
しかし、それでも暑い夏の昼下がりに「べったしき」(離れのことを、そう言っていたように思う)のひんやりとした畳の上で昼寝するのはとても気持ちよかった。うだるような暑さをすこし我慢していると、かすかに部屋を吹き抜ける、心地よい風が感じられた。裏の雑木林で鳴く無数の蝉の声が、最初はうるさく思えていたのが、そのうちに、透明感のあるせせらぎのような心地よい音になり、そして、ふっと声が消えたと感じた瞬間に、僕は深い眠りに落ちる。
昼寝から目覚めると、口が真っ赤にそまりそうなほど、よく熟れた西瓜が待っていた。冷蔵庫などになじむ前の僕にとっては、井戸で冷やしたその西瓜は、じゅうぶんに冷たく、そして甘かった。

夕方になるとお決まりのように激しい雷雨がやってきた。明るいうちから吊り下げた蚊帳の中に入り込めば、恐ろしい雷もここまではやってこないだろう、という安心感に包まれた。危険がいっぱいの外界に、薄い蚊帳一枚を隔てて、胎内のような世界にくるまれる「こわここちよさ」は格別だった。
そして、雷雨が過ぎ去ったあとの残照の中で、再びはじまる涼しげなせみの合唱……。そのころには、夕風がそよぐ裏庭の小池のまわりで、不思議の国に迷い込んだかと思えるほど、さみしくて気持ちいい蛍の明滅が始まる。

「故郷」のイメージは、このように少し甘くてかすかに涼やかだ。

しかし、と、ここでもう一度話を切り返す。
ここで描いた「ふるさと」は、あくまで大人になってしまった僕の頭の中に残るイメージなのだ。子供時代から遠く離れてしまった僕が、今の僕だから感じられるセンチメンタリズムで、子供の時に感じたはずの気分を再構築しているわけだ。
少し話は飛んでしまうが、「ニューシネマパラダイス」という映画の甘酸っぱいやるせなさは、大人が再現する子供時代の思い出なのであって、子供自身が感じる世界ではない。

それならば……
それならば、いま、大人だからこそ感じられる子供時代の記憶をたっぐって「ポストニューシネマパラダイス」を探しに行けばいいではないか。子供の時に感じたはずの気分を大人の感性で再構築して、新しい「ふるさと」を探しに行けばいいではないか。
しかし、植田博士のように、無名の駅におり、駅前にたたずんでみても、頭の中の「ふるさと」にめぐりあうことはないのだろう。こころに描く「ふるさと」が甘美で涼やかなものであればあるほど、現実の「ふるさと」は遠のく。

「ふるさと」とは、大人になって初めて感じることのできる、子供時代の甘美な記憶。

こんな矛盾した世界に出会えるのは、お酒に酔っぱらって、少しセンチメンタルにぼやけた目で見るNHKの「新日本紀行」の再放送ぐらいではないか。それとも、たとえば済州島の、日本とは少し違う風景の中に身をおけは、ひょっとしたら巡り会うことができるものなのかもしれない。

……などと、強引に話の前と後ろをくっつけて、おしまい。

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