« 2003年1月 | トップページ | 2003年3月 »

2003年2月

2003/02/01

達磨さんと青大将とドラゴンクエスト

E気配コレクション 030201

この文書は、以前に友人が係わっていた「健然」というサイトに書いたものの再録です。

先月は「ふるさと」のことをお話しましたが、そのあたりから話を続けます。
僕は夏休みになるといつも、母親の実家に入り浸っていました。そこが「ど」のつく田舎だということは、先月、お話しましたが、実際、「ど」を三つくらいつけてもおかしくないほど激しく田舎だったのです。

Img_2166_hks_s そこでは、僕たちはいつも「べったしき」と呼ばれる「離れ」で寝ることになっていました。「べったしき」の床の間の飾り棚に、小さな達磨さんが置かれていました。ダルマと言っても、目を黒く塗りつぶすような民芸風というか、選挙御用達風というか、といった類のものではなく、いわゆる達磨大師の僧形をした人形です。くすんだ赤の袈裟をまとった、高さ15cmくらいの小さくて小太りした(ちょっとダブった言い方ですけど)達磨さんです。その

達磨さんが深夜に僕たちが寝ている部屋の中を

歩きまわるのです。小太りしたからだをゆすりながら、それでもしずしずと歩きまわるのです。さしたる意味もなく、ただひたすら歩きまわるのです。
えっ、まさか!と思うでしょ。でも、その「まさか」なんです。その証拠に、朝起きてみると、いつも決まって達磨さんの位置が微妙に違っているのですよ。ただし、僕は一度も達磨さんが歩きまわっているところを見たことはないですけど。

達磨さんは決して悪者ではないのですが、歩きまわっているところを見られるのを極度に嫌います。だから、見てはいけないのです。歩きまわっているところを見さえしなければ、達磨さんが僕たちに害を与えることはありません。ひたすらお布団にしがみついて、目をしっかりと閉ざしながら、達磨さんが僕の脇腹の横あたりを、ゆっくりと通り過ぎてゆく気配を感じつつ、しがみつけるお布団の「ありがたさ」を感じていればいいのです。
この達磨さんの存在は、僕にとってものすごく怖いものでありながら、同時に、なんともいえずチャーミングなものだったように思います。決して達磨さんの怖さが僕の眠りをさまたげることはなかったし、お布団に入って目をつむっていさえすればいいのですから、むしろ、

お布団の中の「安心」をしみじみ感じさせてくれる

存在だったのです。怖いけれども、少しわくわくする、避けては通れない夜のイベントといった感じ。でも、実際のところはやっぱり非常に怖かった。このお話の信憑性については、僕の弟に聞いてもらえれば、すぐに信じていただけると思うのですが……まあ、誰も聞かないでしょうけど。なにしろ、あなたは僕の弟を知らないもんね。

ほんの少しだけ怖いお話をもうひとつ。「さっきの話も全然怖くなんかないじゃないですか」などと言う感受性の許容量の狭いかたは、ここで読むのをおやめください。

同じく母親の実家での夏休みの話しなんですけど、その田舎家の庭の隅に古い納屋があって、その二階(というか天井裏というかめちゃめちゃでかい棚というか)に大きな青大将が住み着いているという話しを聞いたんです。納屋の「主」です。怖かった。なにしろ、僕の一番怖いものが蛇なんですから。道を歩いていて30mくらい先に蛇がいるのを見つけたら、もう足がすくんでしまうくらい怖かったんです。それくらい怖かったんだけれども、なんとかして、一度、是非お目にかかりたいと思いました。「お目にかかりたい」というのは言葉の遊びではなく、その青大将に対する僕の敬意のあらわれです。はしごをかけて納屋の二階に登るのは、ちょっと恐ろしすぎる。だから、下にある脱穀機(その当時はもう使っていなかったようですが)をバタバタまわして飛行機ごっこ(なぜか飛行機を操縦しているつもり)をしながら、納屋の「主」があらわれる気配を何日も待ったんです。とても怖いものだからこそ、一度は対面しなければいけない、と思っていたんでしょうね。当時の僕は。結局、その青大将にはお目にかかれずじまい。それでも、その大きな蛇は、僕の頭の中では非常にリアルな存在になりました。とっても恐ろしいもの…だが、とってもとっても威厳があって、近寄りがたいけれども、強く惹きつけられるもの。その

青大将が納屋の梁を悠々と伝っている様子を想像すると

なんだか勇気づけられるような気がしました。

小太りの達磨さんにしろ、巨大な青大将にしろ、こういう「ちょっと怖いこと」が身近に息づいていたということは、今から思い返せば、実に幸せなことだったような気がします。ちょっと怖いことは、子供のころの僕をなぜか元気にしてくれました。そこには、怖いことがあって、それは僕を興奮させてくれて、でも最後には逃げ込める「ぬくぬくとした」安心領域があって、その「ぬくぬくとした安心感」は、ちょっと怖いことがあるからこそ一層「ぬくぬくと」しているんだ……世界はそういうふうに作られているんだ、という幼い認識があったのです。それは、日々、自分がイベントの中にいるという感覚です。自分が主役となった舞台の中で、くじけそうになりながらも、最後にはやすらいだハッピーエンドを味わえるという感覚です。僕の子供の頃は、毎日がそんなことの繰り返しだったように思います。

話は突然変わりますけど、ずいぶん以前、シリーズが1とか2だった頃のドラゴンクエストにはまりました。もちろん、僕はすでに充分以上に大人になっていたわけだけど、とにかく毎晩、夜明けが近くなるまでドラクエに熱中していた時期があります。そこで感じたことは、まさに先ほどお話したような感覚なのです。ドラクエも初期のやつは、味方で隊列を組んだりせずに、一人で荒野をさすらっては、戦いに明け暮れるというスタイルのものです。ビジュアルは稚拙だし、フィールドも後のバージョンほど広大なものではありません。それでも、とにかく面白くてしかたありませんでした。
慣れ親しんだ城から遠く離れた辺境の地を、一人でとぼとぼ歩いていると

ホームシックに似たようなやるせない気分に

なりました。自分の足下しか光が届かない洞窟に入ると、もう寂しくて心細くて、逃げ出したくなる気持ちを励ましながら前に進んだものです。そのころは、まだ、一気にお城に帰れるような呪文がなかったのです。
こうした苦境を乗り越えて、荒野の中に街の明かりを発見して、宿屋に到着した時の安心感といったら、もうこれはこたえられません。自分が少しだけ大きくなったような満足感に包まれながら、ドラクエの勇気ある戦士(つまり僕です)は、やすらかな眠りに落ちるのです。

子供のころの、ちょっとした冒険。少し怖い体験。そのあとの、なんとも言えず満ち足りたやすらぎ……大人になって、そんな気分からずいぶん遠ざかり、ほとんど忘れかけていた時にめぐりあった「ドラクエ」は、子供時代には感じることのできたものを蘇らせてくれました。
怖さを感じ、挫折を感じ、それを自らの力で乗り越えることで成長する。そのことによって自らの存在を「認められる」ものと感じる。まわりも、そのことを祝福してくれる……なんていう、絵に描いたような理想的成長体験は、誰もが経験できるものではありません。僕の子供時代の夏休みに体験した、達磨さんや青大将やお墓での肝試しや裏山での探検ごっこは

そうした成長の代理体験として

意味があったんだろうと思います。
そして、想像力豊かな少年時代の「探検ごっこ」では、どんな平凡な風景の中にも「神秘の泉」や「魔物の洞窟」や「呪いの森」や「安堵の隠れ家」を出現させることができました。ドラクエは、その少年時代には「想像できたもの」を(大人にとっては想像できなくなりつつあるものを)、画面上に鮮やかに蘇らせてくれたのです。

先日、やっとプレステ2を手に入れました。もうすぐドラクエの8も発売されるようです。ひさしぶりに、子供時代には感じることのできた「めくるめく」ものに出会えるかもしれません。もし、うまく出会うことができたら、この頁でレポートします。
なに?もっと大人だからこそ感じられる「めくるめく」体験のレポートのほうがいいって?
それは、また別の機会にゆっくりと……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2003年1月 | トップページ | 2003年3月 »