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2003/06/01

不自由な便利から、ちょっと不便な自由へ

E気配コレクション 030601

この文書は、以前に友人が係わっていた「健然」というサイトに書いたものの再録です。

Img_030601a 先日、メインで使っていたパソコンがいかれぽんち気味になってきたので、新しいノートパソコンを買いました。ソーテックの安物のハイエンド機という不思議なマシンですけどね。デスクトップにしようか、ノートにしようかと迷ったんですけど、もう一台使っているノートがかなり古くて、プレゼンなんかに使うにはちょっと気がひけるようなしろものになったので、ノートに決めたわけです。

……で、いろいろと使用環境などという小難しくて面倒なものを整えているうちにですね、

7本ものケーブルがノートパソコンをがんじがらめに

するという状況になってしまったんです。まずマウスケーブル。ちょこっとデザインなんかもしたりしなければいけないので、タッチパッドではどうもいかん。次にLANケーブル。これも他のパソコンにバックアップをとったり、古いファイルを参照したりするのに不可欠。お次は電話回線への接続ケーブル。さらにウィンドーズCEのハンドヘルドPCと同期をはかるためのケーブル。さらにさらに、デュアルモニターを使うためにアナログディスプレーと接続するケーブル。デュアルモニターというのは、一台のパソコンで二台のモニターを連動して使って、デスクトップを広く広くするというもので、使いだすと便利すぎてやめられない。まだまだあるぞのデジカメ接続ケーブル。そして最後に一番かんじんな電源ケーブル。これで7本です。ふうう。

ほんとは、お仕事をちゃっちゃとするために、ICレコーダーとの接続ケーブルもつけておきたかったんですけど、もう駄目。これでも、プリンターへの接続はLANでやってるので、プリンターケーブルがないだけ、まだ多少はましかなといった状態です。太いプリンターケーブルまでつないでしまった日には、ちょっとした「緊縛マニア」になってしまいます。
デスクトップなら接続部分は大半がタワーの後ろに隠れてしまうので、ほとんど気にならなかったんですけど、ノートの場合はモニターのフタを閉じたら、あなた、マシンのお尻からお股にかけて、うじゃうじゃと麻縄……ではなかった、ケーブルがのたうちまくっていて、まさにSMの光景なのであります。

なにがモバイルや!
なにがアウトドアオフィスや!

7本ものケーブルをひとつひとつはずして、またつける手間を考えたら、せっかくのノートパソコンだというのに一歩も動かせないではないか!いくら便利な使用環境を整えても、デスクに縛りつけられていたのでは不自由きわまりないではないか!

便利はつくづく不自由だ!

最近、そんなふうに感じることが多くなってきました。

例えば「携帯電話」です。
僕はフリーに近いようなかたちで(自由に近いようなかたちでということではなく、限りなく零細なかたちで、という意味です)仕事をしている人間にとって、携帯電話は必需以上と言ってもいいでしょう。最近は携帯のほうが確実につかまるということで、仕事場にいても携帯電話にかけてくる人が多いので、いつでもどこでも、携帯電話と寄り添って生きていかねばなりません。色気はないですけど。
たしかに携帯電話は便利なしろものです。街を歩いていても、トイレに入っていても、ベッドにもぐりこんでいても、必要な時に電話をかけることができます。しかし……どんな所でも、どんな時にでも電話をかけられるということは、どんな所でも、どんな時にでも電話がかかってくるということですね。いくら軽量で、電話ケーブルから解放されているといっても、これでは、見えない縄でがんじがらめにされているようなもんです。
なら、回線を切っておけばいいではないか、と思うかもしれませんが、そうはいきません。誰かに携帯の番号を知らせるということは、その段階で、

自分を縛る縄を一本増やす

ということになるんですから。「僕はいつでもどこでも、あなたからの電話を受けることができますよ」という不自由きわまりない縄を。

話は変わります。うちから歩いて1~2分以内にコンビニが2軒あります。さすがコンビニエンスストアというだけあって、これは実に便利なものです。僕には「ビール癖」という、人には言えない秘められた悪癖があるものですから、ビールを買いだめしておくということができません。あればあるだけ飲んでしまうからです。サルなみですね。
……で、夜中の3時に突然、つめたああああああく冷えたビール(あたたかく冷えたビールというものがあれば教えてほしい)が飲みたくて、もうどうにも自分を抑えることができませんの……などという悶絶団地妻状態になった時にはどうすればいいか。簡単なことですね。小銭を握りしめてコンビニに行けばいいのです。ビールだけでなく、ピーナッツやスルメまで手に入れてしまえます。

トイレットペーパーが切れたからちょっとコンビニへ。(これは、トイレットペーパーが切れたことを知るタイミングが非常に問題ですけど、そんなことは、まあどうでもいい)ティッシュが切れたからちょっとコンビニへ。コーヒーペーパーが切れたからちょっとコンビニへ。どうも小腹がすいたからちょっとコンビニへ。クリーニングを出すのもちょっとコンビニへ。雑誌を買うのもちょっとコンビニへ。寝付けにくくて漫画でも買おうかとちょっとコンビニへ。電球が切れたからちょっとコンビニへ。

そんなこんなで、コンビニの蛍光灯がやたらうそまぶしくて味気のない空間に足を踏み入れると、きまって寒々とした気分を覚えます。コンビニを便利につかいこなしているはずの僕が、実は、生活のスタイルやテンポをコンビニに規制されてしまっているのではないかという感じ。たしかにコンビニは便利だけれども、その便利さゆえに、もっとのびやかであるべき生活のディテールが、なにかセコセコと分断されてしまうという感じ。ちょっとおおげさな言い方ですけど、コンビニ的便利さ(この言葉は「ビッグな大きさ」みたいですね、すいません)に飼い慣らされる不自由さを感じてしまいます。

他にも「便利さが不自由をまねく」ものはいっぱいあります。

車がそうですね。あれほど自由そうで不自由なものもない。それでも手放せないのは、ごくたまに非常に便利だからですが、ごくたまの便利さだけでは、ほんとは全然、勘定があわないんですけどね。
それから、電子メールもそうですね。FAXもそう。ビデオカメラもそう。エアコンもそう。それから、電子レンジもそうですよね。自動ドアもそう。あれもそう。これもそう。
だいたい、生活の中で便利さやちまちました快適さを維持するために、ご機嫌をうかがわなければいけない「もの」が多すぎるんです。便利さを得るために、実は多大な負担や不自由さを背負わされてしまう「もの」が多すぎるんです。
以前、どこかの自動車メーカーが「ものよりも思い出」などとほざいて、車という「うんち高いもの」を売りつけようとするコマーシャルがありました。みんな、その矛盾に半分は気づきながらも、「便利さ」や「快適さ」という20世紀の錦の御旗の前にひれふして、不自由さには目をとざしている状況なのかも知れません。今は。

僕は今、「疎開」というコンセプトを温めています。

戦争時の疎開ではありません。戦争時の疎開は空襲から逃れて安全な場所に移動することですが、僕の「疎開」は理不尽な束縛から離れて、本来ののびやかでおおらかな生活感覚を取り戻そうというものです。
大疎開としては、例えば田舎のほうへの「集団疎開」が考えられます。小疎開では、日常生活の中での「精神的疎開」というのもあるでしょう。いずれにしても「多少の不便さを積極的に受け入れることで、もっと自由を」というのが基本的な考えになります。
21世紀はきっとそういう時代になる……などと、勝手に言いきったところで、ちょっと書き疲れてきたので、今月のお話はおしまい。

来月は、僕の「疎開」についてもう少し詳しくお話したいと思っています。では。

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