« 自閉もけっこうきもちE! | トップページ | 「アジアでなくてはやすらげない」 »

2003/10/01

「………この指とまれ!」

E気配コレクション 031001

この文書は、以前に友人が係わっていた「健然」というサイトに書いたものの再録です。

先月のことなんですけど、新宿のOZONEてとこで「ユニバーサルデザイン展」をやってたので見に行ってきました。仕事でユニバーサルデザインがテーマにもなってるもんですから。で、「ユニバーサルデザイン展」のほうは、まあこんなものか、という感じだったのですが、同じOZONEの中で、もっと楽しそうなものを見つけたんです。
それは「ぼくらのくうそうせいかつ展」。字面にするとちょっと気恥ずかしい展ですけど。

それがどういう「展」かと言いますとですね

R0010796_g_s 20世紀、私たちは大量生産の仕組みによって、それまで一部の人の嗜好品にすぎなかった車やAV機器を安価で手に入れられるようになりました。特に「モノづくり立国」とも「家電立国」とも言われた日本に暮らす私たちは、世界の中でも強くその恩恵を受けてきたと思います。
そして21世紀。生活に必要なものなら何でも手に入るようになった世の中で、けれど本当に満足のいくデザインや必要な機能を備えた製品に出会う機会は、まだ多くはありません。大量生産は否定しないけれども「ぼくらが本当にほしいものがほしい!」という気持ちにも応えてほしい。そんな、これまでは空想に過ぎなかった思いを現実にする方法があるということを、どうぞ知ってください。
(「ぼくらのくうそうせいかつ展」でもらった「くうそうせいかつ手帳」より引用)

というものなんです。具体的な方法はと言えば、まず「くうそうせいかつ」のホームページに欲しいものを書き込むことから始まります。書き込んだアイデアに「あっ、ぼくもこんなものが欲しいと思ってたんや」「わたくしもですの」などという賛同投票が一定数集まったら、デザインをおこして受注を開始。人のアイデアに乗っかるだけでも、もちろんOK。主催者側では、併行して作ってくれるメーカーを探して、最小ロット分の注文が集まった時点で製品化。注文した人にお届け。ジャジャーン!という仕組みです。(書くと簡単ですけど、けっこう主催者側の調整作業は大変でしょうね)

この「やりかた」は非常に正しい。

すでにステンレスの素材感を活かしたレトロフューチャー感覚のパソコンなんかが製品化されていて、「どうしてこんなのがなかったんだろう。そうそう、こんなのがあったらいいよね」という想いを実現する方法が、実はあったのだという嬉しさを感じます。
詳細を知りたい人は「くうそうせいかつ」のホームページに行ってみてください。
http://www.cuusoo.com/

話は変わりますが、昨年、”みぞかみもりと”という名前はかっこいいけれども、本人の「立ち居振る舞い」もなかなかかっこいいかな?という僕の友人(このE気配コラムをのっけてるサイトに深くからんでる人なので、ここは内輪のサービスということで)に秋岡芳夫さんのことを教えてもらいました。
秋岡芳夫さんというのは、工業デザイナーとして活躍しながら、作る者・売る者・使う者のよりよい関係をめざした”モノ・モノ”運動を主催されていた方。東北工業大学で教鞭もとっておられたそうなのですが、残念なことに1997年にお亡くなりになりました。

その秋岡芳夫さんの本を、早速、何冊か取り寄せて読んでみたんですけど……なんか、「取り寄せて」と書くと、高名な作家が懇意にしている本屋のおやじに「適当にみつくろって持ってきてはくれまいか」などと偉そうな態度で皮貼りハイバックの椅子にふんぞりかえってパイプなぞくゆらしながら、「本はまだか?まだ来ぬか?」というような感じがしそうですが、なんのことはない、「bk-1」というオンラインの本屋で注文しただけなんですね……

というようなことは、どうでもいいんですが

とにかく秋岡芳夫さんの本には惹きつけられました。
その中で、秋岡芳夫さんはこんなことを書いています。

昔の日本の技術はいま思えばチャチではあったかもしれないが、その技術はちゃんと町の人間の手のとどくところにあった。注文のモノが作れる技術だった。大工の技術も桶職のそれも、「町の技術」であり「市民サイドの技術」だったと言える。それに較べたらマンション、プレハブ、アルミサッシを作り出している技術はどれもこれも「工場の技術」であり「企業サイド」の技術なのである。
(中略)
個人の生活技術とコミュニティの生産・生活技術の復権・復元が急務のようである。生活用具のすべてを大企業・工業の生産のみに任せて来たこれまでのあやまちを改め、これからは、地場産業、伝統工芸産業、注文生産、手作り産業などの「個人技術によるモノ作り」をすすめることで、工業には絶対に作り出せない風土性、個別性のある生活のある道具を作り出すべきだろう。それらを経済的に見て極めて付加価値の高い、資源的にみて省資源、省エネルギー型の産業として育ててゆくべきである。使用者がみずから注文して作ったモノ、人間が心をこめて手づくりしたモノ。風土性豊かな愛すべき日本のものなどを、はたして使い捨てるものがいるだろうか。決していまい。使い捨て現象をこの世の中から消し去るためにも大企業による大量生産のほかに個人技術でモノを作る、「いま一つこぢんまりした産業」を育てることが急務である。
(秋岡芳夫著「住-すまう」より引用)

秋岡芳夫さんのビジョンを、きわめて現代的なかたちで実現しようとしているのが、さっきお話しした「くうそうせいかつ」なんですね。きっと。

もっと真面目に、妥協せずに「わがまま」を通そうよ

というメッセージをどちらにも感じます。不真面目で妥協だらけの「わがまま」はみっともないだけですが、真面目に妥協しない「わがまま」の追求は、生態学的に正しくて「すがすがしい」ひとつのやりかただとは思いませんか。ちょっとおおげさですけど。

しかし、と、ここで反論が入ります……パレスチナでは危機状況がいっそうレベルアップしてるし、ワヒド大統領はちょっと違うぞと思ってたのに、やっぱりお前もかという感じみたいだし、日本の株価は1万円を割ってもおかしくないぞ、だし、プーチンはどう見ても怪しげだし、日本のしゅしょーは怪しげにさえ見えないし、地球上のあちこちで大地震は頻発するし、アメリカの経済状況もやばくなってきたし、僕の会社の経済状況は以前からずううっとやばいし、熱帯雨林は変わらず減少しつづけているし、民族どうしはいがみあうし、地球温暖化には歯止めがかからないみたいだし、

ジャイアンツは今年も優勝してしまうに決まってるし……

などなどあれこれの状況の中で、他に比べてWINDOWSが快適かつ安全に作動するわけでもないのに、ステンレスのレトロフューチャー感覚パソコン(くうそうせいかつ)に恋い焦がれたり、たかが飯を食うための棒なのに、「ひとあたはん」の長さで19グラムのお箸(秋岡芳夫さんの著作より)にこだわることに何の意味があるのか!と言われれば、「などなどあれこれ」の状況に対しては何の意味もない、としか答えようがありません。
もっと身近なところで言えば、金がない、暇がない、空間がない、将来の保証がない、ないない状況の中で「何が、もっと真面目に妥協せずにわがままを通そうよ、やのん!寝言は寝間で、屁は風呂でしいや!」と関西方面の怖そうなおばさんに言われたら、元関西方面で今も関東在住関西弁標準語化会議議長である僕も、一瞬ひるんで「そっ、そうかも知れないっすね」などと敵国語で答えてしまうかも知れない。

しかしですね、自慢するわけやないけど

僕もお金なんかありませんよ。貧乏ですから当然のことながら暇もありませんよね。住んでるとこは狭い賃貸のマンションです。将来の保証どころか1年先の保証もおまへんで。どやっ!まいったかあ!とゆーよーな関西方面のおばさんも真っ青(真っ青な関西のおばはんというのはシュールやねえ)な状況で生活しているからこそ「もっと真面目に妥協せずにわがままを通そう」と思うのかも知れません。それができるのかも知れません。
だって、白金の160平米のフラットに住んでるキャリア官僚みたいな人にとって「真面目に妥協せずにわがままを通す」なんてコンセプトは空疎な感じがしますもんね。
昔、石津謙介というヴァンジャケットを創った人が「たった四畳半だけの暮らしでも、わがままを貫き通してかっこいい環境で生活ができる」というようなことを言い切ってました。これは、僕の友人からの受け売りなんですけど、最近は「まったくそのとおり」だと思います。四畳半だからこそ、わがままでかっこいい生活を真面目に押し通すことができるのだと。

「もっと真面目に妥協せずにわがままを通そう」としても、それが、先ほどくどくどとお話しした「などなどあれこれ」の状況を、直接的に解決することにはつながりません。
それでも、真面目に妥協せずに「わがまま」を追求しようと思う人たちが、それぞれの「わがまま」を認めあいながらネットワークを組むことができれば、ひょっとしたら、持続可能で気持ちいい新しい生活環境の「兆し」を創ることができるのではないか……などと。
(このあたり、思いっきり説明をはしょってるので、「あなたの論旨がよめないわ」などとつぶやくきれいなおねえさんがいるかも知れません。そういうかたには個別に、念入りかつ情熱的にご説明してさしあげますので、ご用命くださいませ)
妥協と惰性の「小快適」から脱皮し、自分の「わがまま」を見つめ直して一歩踏み出すこと。それが以前からこの「E気配コラム」でお話ししていた僕の『疎開』なんですね。

わからない人はバックナンバーを読むべし!

またまた、話は変わりますけど、以前、友人たちと飲み会をやっていて、かなり頭脳崩壊的にテンションが高まってきたところで、なにか、画期的におもしろくてかつ前向きに現状打破なことをやりたいではないかなどと誰かがわめきだし、それならば、いろんな人を集めて、シチリアか対馬にコロニーを造って移住しようではありませんか、ということになって、なぜシチリアか対馬なのかはさて置いて、うん、それは実に実にすばらしい、ここに全員一致の血判状をしたため、必ずやの実現に向けて具体化計画をいざ練りあげん!で散会となったのですが、その後、誰に会っても「そのこと」には一言もふれられたことがない、という「情けなくも愛くるしい」プランがあります。
僕はあきらめずに、密かにNPO活動として実現することはできないだろうか、などと考えています。こちらがいわば『集団疎開』です。どうですか。なんか楽しそうだなと感じた人は

「……この指とまれ!」

|

« 自閉もけっこうきもちE! | トップページ | 「アジアでなくてはやすらげない」 »

E気配コレクション」カテゴリの記事

コメント

Interesting article, thank you for your post.

投稿: Post it | 2018/08/18 02:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「………この指とまれ!」:

« 自閉もけっこうきもちE! | トップページ | 「アジアでなくてはやすらげない」 »