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2003年11月

2003/11/01

「アジアでなくてはやすらげない」

E気配コレクション 03111

この文書は、以前に友人が係わっていた「健然」というサイトに書いたものの再録です

R0010388_s こないだタイ式の足裏マッサージに行って来ました。仕事でちょっとつきあいのある人がマッサージの店をオープンしたんです。場所は原宿と千駄ヶ谷のちょうど真ん中あたり。閑静な住宅街のマンションの一室です。表に看板ひとつなく、知らない人なら怪しげなマッサージと称するスノッブ系高級風俗のお店かと思うようなロケーションです。もっとも

僕はそんな店には行ったことがないから、よくわかりませんが……

その店は、タイやベトナム、ミャンマーあたりのインテリア雑貨のショールームも兼ねていて、中に入ると瞬時、ちょっと涼しげで官能的な東南アジアの「静寂」に包まれます。僕はタイもベトナムもミャンマーも行ったことがないので、よくわかりませんが……
足裏マッサージはツボに入ると、激とまではいかない痛と、ちょっとこそばいような快感が同時に訪れるといった、ほとんど忘れかけていた身体感覚の再発見です。子供の頃に例えば転んで膝をすりむいた時に、そんな感じがしたような記憶があります。

仄暗い空間で、かすかに東南アジアの涼気を感じながら、ゆったりしたリクライニングチェアに身をあずけて、からだの芯を昇ってくる「痛いこそばい気持ちいい」を感じていると、僕の中のアジアがゆるやかに目覚めます……などと言ったものの、僕は僕の中のアジアというものを見たことはないので、よくはわかりませんが。ちょっとしつこいですね。とにかく、そういう気分です。
まどろみながら覚醒するといった感じ。ちょっと胸騒ぎを覚えながら、心が静まっていくといった気配。寂しいような嬉しいような気分。痛いような気持ちいいような感覚。(これはそのままです)なにもかも忘れながら、なにもかもを思い出してしまうような感じ。こういう感じが、たぶん僕の中の「アジア」というか「日本」なのではないか……と思ったりするわけです。

この「くそあいまい」で「どっちつかず」で「いいかげん」で「なんかよおわからんわ」で「白黒はっきりせんかい!」となじられそうで、「軟弱」で「脱力的」で「わかったふりをするな!」的で、「刹那的」で「ひよわ」で「すけべ」で、なおかつ「かっこいい」ような感じが、実のところ「たまりません」のです。

話はいつものごとく突然変わりますが

友達とのみながら話していて、「ああ、ヨーロッパのあそこはよかったなあ」などという極めていやったらしい話になることがあります。きわめていやったらしいのですが、話し出すと結構熱が入ってしまいます。

「ローマとフィレンツェの丁度中間あたりにアッシジいう街があるねん。めちゃめちゃええとこやで。そこのサンフランチェスカ寺院にジオットいう絵描きの有名な壁画があるんやけど(この部分、うろ覚えのまま確認せずに喋ってるので真偽は不明)、まあ、そんなことはどうでもええ。街自体が中世そのままやねん。寺院の軒下で……そやけど寺院でええんかなあ?教会やねえ、あれは……まあええわ、とにかくその寺院みたいな教会みたいな建物の軒下で雨宿りしながら、鳩の糞を浴びつつ、雨に煙るアッシジの街並みをぼおっと見てたらな、いや、もうこれは中世の厭世的な僧侶になった気分やで。そんなものがおるかどうか知らんけど……まあ、そのような月並みな感慨にふけっておったところですね、若いおばちゃんというか、ちょっと年をとったおねえちゃんというか、が僕に声をかけてきてん。もちろん外人やで、それもけっこうビューティフルな。アメリカ人みたいやったなあ。その人が『あんた日本人なん?』言うて関西弁の英語で聞くから、僕も『オフコースやんか』言うて関西弁の英語で答えたわけや。そしたら、その年くいのおねえちゃんが『今晩、街はずれにある画家のおっちゃんの家でパーティやるから来いへん?』言うから、思わず『いく!いく!』とはしたなくも叫んでしもてん。まだ日本人が珍しい時代やから、パーティの「あしらい」のひとつに日本人でも置いとこかと思うたんちゃうかな。……それで、連れていってもらいました。その画家のおっちゃんの家に。これがめちゃめちゃかっこええねん。白しっくいで塗り固めた、これが南欧でなくて何が南欧やねん!いう感じの家。それで、電気をひいてへんねん。まあ、ちゃんと見たわけとちゃうから、電気はひいてるかもしらんけど、とにかく電灯というもんが全くなくて、全部ランプで照明してはるんや。いやいや感激しましたですよ。そのあったかいゆらめきの中に、20人くらいのおりこうそうな外人の人が…あたりまえやけどね。いろんな国の人がいたみたいやな…その、ワインを飲みながらぼそぼそと語り合ってるところを想像してちょうだい。よろしいですよ。だいたいアーティストみたいな人が多かったけど、僕の隣にいたおっさんは、近くの村の役場の人らしかったなあ。僕、関西弁の英語と2歳児のイタリア語しかしゃべられへんから、会話がはずむというわけにはいかんかったけど、イタリアのスノッブなやつらは、こんなとこで気持ちええことしてるんや、と思って、そこに参加してる僕もけっこうスノッブな人みたいやなあ……などと嬉しがってると、パーティに誘ってくれた年くいねえちゃんが『あんた、アナザーシガレットいるか?』言うから、なんにもわからんと『いる、いる』と答えてグラスの初体験。いやああ、もうええわ。もうええわ言うても『もうけっこうです』とちゃうで。『たいへんよろしいです』という意味ですよ」……

などと、くだらないおしゃべりが過ぎて、すいません。

もう少し……で……
「日本では、こうはいかへんなあ。日本でなんかようわからんホームパーティみたいなんに呼ばれても、違うよなあ。呼んでくれたご家族全員、肩に力が入ってて、だらあっとしてくれへんから、こっちもだらあっとでけへんねん。だいいち、家が違うもんな。日本ではずいぶんこぎれいな部類のマンションの一室でも、なんか、よそよそしいというか、しっくりこないというか、違和感があるねん。アナザーシガレットもないしなあ。日本やったら、やっぱりお座敷で宴会しかないでえ。」……などとほざきつつ、あげくの果てに、日本のここがうっとおしい、日本のそれがぶさいくや、日本のあれは貧困や、日本のどれがかっこええねん?日本のこれがみすぼらしい、などなど酔ったいきおいで言いあって最後に、ものすごおく自己嫌悪に落ち込んでしまうわけですね。

これって何なんでしょうね?

何なんでしょうねと聞かれたから答えるけど、(自分で聞いて自分で答えるな!)日本のここがうっとおしくて、日本のそれがぶさいくで、日本のこれがみすぼらしいのは仕方のないことなのかも知れません。
日本にどんどんどんどん「洋もの」が入り込んできて、それを無自覚に受け入れて、かといってそれを徹底もできず、安直にまぜこぜしてしまったわけですから、「しっくり」くるわけがないですよね。街も、家も、着るものも、食べるものも、身のこなしも、遊びかたも。「日本」がそのまま残っているところは、いわゆる「観光地」でしかないし、「西洋」が忠実に移し替えられたところは、単に「おしゃれ」でしかないし、その他は「雑然」「雑多」「雑駁」……

いやになりますね。こんなこと書いてると。

今の日本人の生活スタイルに、なにか「よそよそしさ」、「しっくり感」のなさ、「うそくさい」気配、「はぐれたような」気分を感じてしまうのは僕だけなんでしょうか。
まごうことなきモンゴロイドの顔をして、これも洋服だと言えば洋服だと言えるジャージーの上下を着て、それでも靴は脱いで、みょーなスリッパをはいて、壁面の露出する余地が全くなくなるほど家具にかこまれたフローリングの部屋で、かろうじて出来た隙間にゴルフのトロフィーを飾って、天井にはこうこうと蛍光灯の明かりをつけて、ちょっと座面が高すぎるダイニングチェアにあぐらをかいて、32インチのワイドテレビをつけっぱなしにしたまま、ウィスキーの水割りかなんか飲みながら、イトーヨーカドー特売798円也のステーキを食っているおとおさあん……あなたの生活はそれでほんとに「しっくり」きてると思ってるんですか。別に、イトーヨーカドー特売のステーキが悪いと言ってるわけじゃあないんですよ。

なんか、ねちねちと喧嘩を売ってるみたいですね

すいません。居酒屋でこういうしゃべりかたをすると、隣に座っている人と、確実に険悪な雰囲気を作り出すことができますよ。まあ、それはさておいて……

僕はまったく右翼ではありませんが、自分の中にあるアジアを、自分の中にある日本を、いまいちど感じ直し、見つめ直して、少しずつでもその気配、その感じかたを生活の場に取り込んでいかないと、どんどん「はぐれ」ていってしまうような、やるせない気分がいつもつきまといます。
なんとかしましょうよ。ほんとに。あなたも一緒に。

アジアでなくてはやすらげない。
日本でなくてはよそよそしい。

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