« 2003年11月 | トップページ | 2004年1月 »

2003年12月

2003/12/01

方丈回帰のすすめ

E気配コレクション 031201

この文書は、十数年前に友人が係わっていたというサイトに書いたものの再録です

R0012352_s 今月はちょっと過激なおはなしなので、「はなし半分」のつもりで読んでくださいね……なあんて、脅すほどのものではありませんが。では。

以前、関西にいるころは、阪急神戸線沿線の御影というところに住んでいました。窓を開ければ木立のむこうに大阪湾が広がるという、トレンディドラマの舞台にでもなりそうなマンションでした。
仕事で東京に住むようになって千葉に100坪ほどの土地を買いました。そこに家を建てて家族を住まわせ、僕はといえば「ウィークデイは一人で都心のマンション暮らしさっ」などという、これまた絵に描いたようなバブリープランを考えていたのです。

そしてバブルが崩壊しました。

バブル崩壊だけが原因ではないのですが、お決まりのように僕の会社の業績は悪化の一途。事務所も高輪から池尻大橋、そして神奈川県下へと都落ち。神戸のマンションも千葉の土地もみんななくして、ついでにというか、決定的にというか、奥さんとお子さんまで関西方面にお引っ越しされて、今は川崎の狭い賃貸マンションでSOHO暮らし。こう書いてみるとけっこうトホホな状況のようですが、僕の場合、ここで思いっきり「強がり」ます。
「四畳半ひとまの暮らしが一番かっこいいのだ!」と。
四畳半一間はちょっとオーバーかもしれませんが、適度な狭さ、適度な少なさ、適度な足りなさ、適度な低さが、実はもっともナチュラルでやすらかできもちいい状況なのかもしれない、などとふと思ってみたりするわけです。自分が楽にハンドリングできる生活というのは、こういうものではないかと考えたりするわけです。

都心ウォータフロントの130㎡のマンションに住んで、外房に別荘を持って、その近くにヨットを係留していて、車はセダンとミニバンの2台で、大型犬を一匹飼って、猫も二匹飼って、亀は貧乏くさいから飼わなくて、お互いの家でしょっちゅうパーティをしなければいけないような仲のよい?友達ファミリーが5つ6つあって、それ以外にも親友だと思ってる人が5人以上いて、親友を維持するためにしょっちゅう合わなくてはいけなくて、へべれけになるような奴はちょっと遠慮してもらって、年に一度は家族揃って海外旅行に行かなくてはならなくて………
昔はこんな生活をしたいと思った時期もあったかもしれないけれども、今はぜんぜんしたいと思わない。つまり、このように「輪郭が過剰にふくれあがってしまった暮らし」を維持し、コントロールし、あわよくばもっとふくれあがらそうとすることが、ちっとも「きもちよさそう」に思えないのです。お金の問題だけではなくて、過剰に排気量の大きな生活をハンドリングしようという「けなげでかつしんどい努力」なんてしたくないよ、って感じです。

なに?おまえの現在の生活環境を正当化するためにそう言ってるんじゃあないかって?あたりまえじゃあないですか。当然でしょう。自分が今ある環境を正当化しなくってどうするんです。今は少々落ち込んでても、なんとか這いあがって昔の栄華を取り戻すんだい!なんて思えとおっしゃるのですか。もっとも、昔の栄華っていってもぜんぜんたいしたことないですけどね。それでもって、130㎡の外房の係留の2台の2匹の維持のしょっちゅうのへべれけはだめよの家族揃ってのなくてはならなくてを実現しろってか。冗談じゃあない。

これって、なんか、どこかの国の話みたいですね。みんなしゃかりきになって働いて、世界第2位のケーザイタイコクになって、国民全員が中流以上になって、100世帯あたりの車の保有台数が120になって、お米が不作になってもタイ米なんて食えるかっ!とリッチなグルメぶりを披露して、国土の50%がゴルフ場になって、女性の77%がルイビュトンのスリッパを履いて、子供の58%がベンツのちゃりんこに乗って、男性の98%がワニ皮の小銭入れと象牙のつまようじ・耳掻きセット桐箱入りをもっていて、お年よりの83%が純金の総入れ歯をして、みんなでにっと笑うとまぶしすぎて外人観光客がびびって思わずおじぎをしてしまう………と世界のあちこちでうわさされるミステリアスな「どこかの国」。
その国があれれっと思ってるあいだに、なんか様子がどうもへんやで。どうも純金の総入れ歯を総入れ替えでけへんようになってきたやんけ。しゃあないな。当分はちょっと黒ずんで光沢のなくなった金歯でがまんするしかおまへんな、などと思っていると、海外方面から「おたくの国は、ギラギラ光ったスーパーリッチ感覚純金総入れ歯の普及率83%をちゃんと維持してくれへんかったら、どもならんがな!」などと脅しをかけられ、国民は国民でひそかに「そんでもわしら世界第2位のケーザイタイコクやもんね」と、異様に膨らみきった輪郭にいまだしがみついているような、どこかの国。

どもならんのは、おまえらの頭やないか!

などと、はしたなくわめきちらして申し訳ございません。わたくしとしたことが。でも、その世界第2位のケーザイタイコクから経済規模世界第17位の国に行ってみたら、その国のほうがよっぽど豊かそうに見えたのは、いったいどういうことなんでしょうかね。(経済規模世界第17位というのは適当に書いたものなので、なにかで調べて国を特定しても意味はございません。念のため)つまり「規模」なんてどうでもいいんですよね。要は、そこで暮らす人がどれだけ「きもちいい」かということ。あるいは「自分にとって本当にきもちいこと」をどれだけ知っているかということ。「豊かさの尺度ってそれしかないじゃないですか」と、よおく考えてみればあたりまえのお話なんです。そして「自分にとって本当にきもちいい」生活をするためには、生活の輪郭をふくらませ過ぎてはだめなんです。ふくらみすぎた輪郭に合わせようとすることがストレスを生み出すし、ふくらみきった輪郭そのものが危険なんですから。

ブータンという国があります。ヒマラヤ山脈の麓にある小さな国です。昭和天皇のお葬式の時に、膝までしかない野良着のような民族衣装をまっとったブータンの皇太子が参列していました。その皇太子のりりしさ、かっこよさが今も目に焼きついています。その皇太子も今は国王。そして、ほとんど鎖国状態を維持しながら国を率いているそうです。以前に、NHKテレビでそのブータンの現在の様子を見ました。おそらく経済的には非常にきびしい状態なんでしょうが、それでも人々の表情はとても「きもちよさそう」です。1時間くらいのTV番組を見ただけで、そんなことわかるわけないじゃん。ごもっとも。僕らには見えないところで、とてもシビアな現実がきっとあるのでしょう。それでも、それでも、いまだに民族服の着用を義務づけられて、鎖国状況の中で世界の情報からほとんど遮断されたような人々のほうが、僕たちよりも「のびやか」に生活しているように、どうしても見えるのです。少なくとも「どこかの国」で、その輪郭が醜いまでに腫れあがった状況の中にいて、居心地の悪さを感じている人間にとっては。
鎖国も民族衣装の着用も、ブータンが、そしてブータンの人々が「等身大」であることの大切さをよく知っていて、それを維持するための切実な方法なのではないか……などと「どこかの国」の人間は思ってみたりもするわけです。

日本がいまさらブータンになれるわけはないけどね。

ブータンの話から身辺の話に戻ります。僕はできれば自分の身辺環境の輪郭は、自分のからだの輪郭と同じであるというのが一番楽そうに思うのですが、これではホームレスのおじさんと同じで、というか、ホームレスのおじさんでもダンボールを使ったりホームレス仲間がいたりして、身辺輪郭を少しはふくらませているわけで、完全な等身大ではやっぱり生活はできないわけですね。
それならば、せめて自分の身のまわりの環境のふくらみを、自分が楽々とハンドリングできる範囲に抑えて「ベッドに寝転がった状態ですべての生活行動ができるぞ!」などとうそぶいてみたくもなる今日このごろなのであります。それはまあ、あんまりだとしても、適度な狭さ、適度な少なさ、適度な足りなさ、適度な低さが、実はもっともナチュラルでやすらかできもちいい状況なのかもしれないと感じる人が、これからの「どこかの国」ではきっと増えてくると思います。そうならないと「どこかの国」も、そこでの暮らしも、もう、もたなくなると思うから。
そうなりつつある時に、では、企業はどうすればいいのか。そこにこそ、マーケッターとしてのわたくしめの大いなる価値があるのですよ。そして、その画期的なマーケティングプランにより、わたくしは昔の栄華を再び取り戻すことができるのです……などと、非常にあざとくて、たちの悪い冗談を言ったところで、今月のお話はおしまいにしようかなっと。

あっ、そうそう、一言だけつけ加えておきますけどね、「どこかの国」のことをケチョンケチョンに言いましたけど、実は僕はその「どこかの国」が本当は大好きなのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2003年11月 | トップページ | 2004年1月 »