博物館はお好き?
E気配コレクション 040201
この文書は、十数年前に某社のサイトに書いたものの再録です。
博物館が好きだ。世の中の喧噪から隔離された場所で「未知との遭遇」を堪能できる。この「世の中の喧噪から隔離された場所で」というのが重要だ。
最近、テレビゲームをはじめとするバーチャルリアリティへの批判として、現実から隔離された状況への埋没が問題にされるけど、なんでやろう?と思う。ええやんか。博物館に行くのも、美術館に行くのも、本を読むのも、日常の現実から隔離されて、もうひとつ別のリアリティ(現実)に、埋没するのが楽しいのと違うんか。
本に耽溺していた人間が、自分にはわからへんから言うて、例えば「ファイナルファンタジー?」に淫している(ちょっと、この言い方は穏当ちゃうけどね)人間を非難するのはおかしいと思うで。
……と、それはさておき、博物館が好きだ。
世の中の喧噪から隔離された場所で、例えばエトルリアの壺だとか、白鳳期の仏像だとか、人体のスライスだとか、トリケラトプスの骨格だとか、アステカの浮彫だとか、月面に屹立していたという「モノリス」?(「2001年宇宙の旅」をごらんください)と対峙できる。
現場主義はもっともだ。僕だって、そのものが本来あるべき場所で、そのものを見るほうがいことぐらい、よおおおおくわかっている。しかし、それにあくまでこだわるなら、あなた、横丁の散髪屋の看板と、ディズニーランドと、日光江戸村と、本当のシャンゼリゼ通りと、どこかにあるという偽のシャンゼリゼ通りと、ついでに田舎町の銀座通りと、近所の居酒屋のカウンターと、満員電車の中の汗くさい人の背中と、箱根の芦ノ湖スカイラインと、オホーツクの流氷と、ストックホルムの白夜と、息子の履き古したスニーカーと、得意先のうっとおおおおしいオヤジの顔と、本物の教会の壁面に描かれたジオットーの絵と、自分ちの磨き上げた車の輝きと……くらいを見て、ああわたしは、いいものをいいぱい見たと思って一生を終えなさい。(ちょっと、長くしつこくなってしまいましたが)
博物館には「現場」でないからこそいい
というところもある。非常に抽象化された環境の中で「そのもの」が際だつ。静けさと(……もっとも人気の特別展なんかだと、ラッシュアワーなみだもんね。以前、ホルマリンづけの人体のスライスが見られるというので上野の博物館に行った時も、人だかりで展示物のそばまで行けず、人体のスライスなのかへたくそな抽象画だかわからないものを、遠目にちらっと見ただけで……脱線がすぎると、書きたいことと反対の方向に行ってしまうよ)……で、とにかく静けさとほどよい照明の中で、ものが語りかけてくるファンタスティックストーリーに身をゆだねることができる。なにより空調がきいているのが最高だ。
現場だとこうはいきませんよ。例えばメキシコだかベネズエラだかのジャングルの中に、アステカの浮き彫りを見にいくことを想像してみてよ。灼熱の太陽に上半身は半ミイラ状態になりながら、下半身はうじゃうじゃと毒蛇にからみつかれて、おまけにヒルにたっぷり血を吸われて(実際はこんなことないでしょうけどね)遺跡の語りかける壮大な物語に耳をかたむける、なんてできっこないじゃないすか。
博物館のいいところは
快適な環境の中でヌケヌケと現実逃避できるところ。
しかも、現実逃避しながら、なおかつ、非常に前向きに知的好奇心を満たせる。決して無駄な時間はすごしていない。自分を深める役にたっていると思えるところだ。これって、なんだか酒に溺れながら、その酒がメチャメチャからだによくて、酔えば酔うほどに健康になっていくみたいなもんやね。
これほど、素敵な場所が他にあるだろうか。
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コメント
Lovely information, thank you for sharing.
投稿: Custom Gifts | 2018/08/18 02:29