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2008/04/03

「情緒への過剰耽溺」が気持ちいい

Image_080403b 五反田での仕事のうちあわせが、ちょっと早めに終わったので、目黒川沿いの桜に軽く視線をさまよわせてから、ついでにうちの近所の二ヶ領用水の花の下をうろうろしてみました。毎年のことですが、ぼてぼてに咲き乱れる桜を見ていると、春が「爛漫」で「爛熟」で「糜爛」で「膨満」で「恍惚」で「耽溺」だから、

頭がホワイトアウトしそうなくらい気持ちいい。

ずいぶん以前に、友だちが係わってるサイトにこんなことを書いてます。

(前略)昔、司馬遼太郎の本で読んだのですが、平安時代の貴族というのは、ほとんどおねえちゃんと恋をすることしか考えていなかったそうです。うまく添うにせよ袖にされるにせよ、とにかく一年中、恋の狂おしさに浸された頭では、歌でも詠むしかおまへんやないか、というのが人生の中心課題だったようですね。そして、その平安貴族のこころが、日本人の「情緒への過剰耽溺」の原型なのではあるまいか……などと、司馬きどりで言ってみたりするわけです。「お花見」という風習もそのあたりに根っこにあるような気がします。だって「情緒への過剰耽溺」でぱっと想いうかぶのは「みだれ咲き みだれ散りゆく 桜花かな」てな感じですもん。それにしてもへたくそですね。(後略)

「E気配コレクション」に再掲したので、ひまな方は読んでみてください。かなり恥ずかしい文章ですけど……

◇その後のジョージとお花見
http://dot-jp.air-nifty.com/djp/2003/04/post_47c1.html

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