余分なもののない幸せてウソみたいや
去年の10月に「穴」をあけた。仕事をすっぽかしたわけではない。耳たぶに穴を開けただけだ。それも右ではなく左だけ。「右でもええかな」と思わなくもなかったが、右に開ける「いさぎよさ」には到達できなかった。ゴルファーのわたると二人で桜新町の医者に行った(二人とも一人で行くのはちょっとびびりそうな気がして)。看護婦さんの好奇の目にいささかたじろぎながら、依頼用紙の「左のみ」に○をつけた。看護婦さんの期待に応えられなくてごめんなさい。
それでも、今では左の耳にチャラチャラしたものを着けているのが気持ちいい。というよりも、着けないで外出するほうが、何か不自然に思えるようになってきた。たぶん、アフリカあたりに原住の方々と同じ気持ちなんだろうと思う。タトゥなんかもそうだけど、昔は男も女も、もっともっとからだに装飾をほどこしていた。魔除けのためだけではない。きっと、それが気持ちよかったのだ。
全身にお経を書き込まれた、耳なし前の耳なし芳一の「気持ちよさ」を想像してみよ。(お話の気持ちよさのことだけど)耳に写経する手間をけちったばかりに、気持ちよさが半減しただけでなく、耳を失うことにもなった。
僕が耳を飾る深因はここにある。…わけがない。
今、発泡酒のコマーシャルで「余分なもののない幸せ」などと言われると、思わず「うそっ!」と反応してしまう。余分なものがないよりも、余分なもののあるほうが、絶対に幸せだし、気持ちいいにきまっている。ミニマルの時代は終わったのだ。
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